グループ結成5周年を迎え、来年は8都市を巡るライブツアー「WESTV!」を控えているジャニーズWEST。
音楽活動はもちろん、ドラマや映画、舞台、そしてバラエティー番組まで幅広い活躍をしています。
今回は現在、人気歌喜劇「市場三郎~グアムの恋」で主演を務めており、メンバー1の「癒し系」である濵田崇裕さんの基本プロフィールや学生時代のエピソード、そしてジャニーズWESTとしてデビューするまでの軌跡をみていきたいと思います!
気になるところからどうぞ!
濵田崇裕の基本プロフィール
引用:https://rank1-media.com/I0000027
名前 | 濵田 崇裕(はまだ たかひろ) |
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本名 | (同上) |
職業 | アイドル |
生年月日 | 1988年12月19日(35歳) |
出身地 | 兵庫県姫路市 |
身長 | 178cm |
体重 | 56kg |
所属 | ジャニーズ事務所 |
最終学歴 | 高卒だが学校名は不明 |
趣味 | バス釣り |
濵田崇裕の中学・高校・大学と偏差値は?
引用:https://www.pinterest.co.uk/pin/607141593488293974/
濵田崇裕さんの最終学歴は高校卒業ですが、中学・高校ともにどこの学校に通っていたのか、明確な情報はありませんでした。
プロフィールでは出身地が「兵庫県姫路市」となっていますが、濵田崇裕さん曰く「姫路といわないとわからないくらい山奥の方」らしいのです。
「中学と高校に関しては加古川市にある学校へ通っていたのではないか」という噂もありますが、加古川市は姫路市と神戸市の間にあるものの「山奥の方」ではないため、その信憑性は低いと考えられます。
出身校を特定はできませんでしたが、14歳でジャニーズ事務所に入所してからは学業と芸能活動の両立に励んでいたことでしょうね!
濵田崇裕の学生時代のエピソードは?
引用:https://www.pinterest.com.au/pin/776871004444378496/?lp=true
濵田崇裕さんの学生時代のエピソードとして印象的なのは、「中学の卒業式で泣いた」と言っていたことではないでしょうか。
これはジャニーズWESTのラジオで、メンバーの重岡大毅さんと一緒にパーソナリティーを務めていた回で公言していました。
仕事ではあまり泣いている姿を見せず、「人前で泣くことが恥ずかしい」という濵田崇裕さん。
しかし、そんな濵田崇裕さんが中学の卒業式では号泣してしまったといいます。
卒業式後の最後のホームルームで担任の先生からの話があった後に、生徒たちが「あざした~」と軽く挨拶をしたところ、先生が大きな声で「ありがとうございました!!」と挨拶した瞬間に、濵田崇裕さんは号泣してしまったのです。
「卒業式で泣く」といえば、最後の合唱の時や先生がホームルームで話している時が多くあると思いますが、まさか最後の挨拶で泣いてしまうとは、少し周りとズレているところも天然な濵田崇裕さんらしいですよね。
また、小学生の時には「バレンタインデーのお返しに一人一人にマニキュアを選んで渡した」というエピソードもあります。
お菓子で返す男の子が多い中で、わざわざマニキュアを選んで買うなんてとても可愛らしいですよね!
今から10年ほど前の学生時代のエピソードを聞いても「濵ちゃんならしそう」と容易に想像できてしまうのは、30歳になる現在でも少年時代の純粋さを感じるからかもしれません。
濵田崇裕の入所日・デビューのきっかけは?
濵田崇裕さんは2002年の夏に当時14歳でジャニーズ事務所に入所しています。
同期は現在も同じグループのメンバーで活躍している桐山照史さんです。
引用:https://deskgram.net/explore/tags/
幼い頃から運動神経が抜群で、小学校5年生からダンスも習っていた濵田崇裕さんがジャニーズ事務所に履歴書を送ったきっかけは、2人いる姉たちがジャニーズJr.のファンであったからです。
姉たちは末っ子の濵田崇裕さんをジャニーズ事務所に入れて、自分の好きなジャニーズJr.に会いたかったのだといいます。
“ツカミが大事や!”という母親の言葉から、鼻眼鏡をかけたひょうきんな写真を履歴書に貼って送ったという濵田崇裕さん。
返事が返ってきたのはかなり後だったそうですが、当時中学校で入ったバスケ部の活動に夢中だったため、初めはオーディションに行くのを止めようと思っていました。
しかし、姉たちに「まあ、とりあえず行ってみようよ」と丸め込まれ、約300人が集まっていたオーディションに参加することになります。(当時、お姉さんたちが推していたジャニーズJr.は既にジャニーズ事務所を辞めてしまっていました。)
オーディションでは、母親から「バック転を見せたほうがいい」という助言のもとで、「できるわけではなく、できそうだった」バック転を立候補して行ったところ、結局補助アリでなんとかできたレベルだったそうで、審査員の関ジャニ∞からの反応は微妙だったそうです。
しかし、「もう無理だろうな」と思っていたその日の夜に、「『ANOTHER』っていう舞台があるから来て」という電話がかかってきたことから、濵田崇裕さんの長いジャニーズJr.時代が始まります。
舞台に呼ばれて歌審査を経て、濵田崇裕さんは入所すぐに「BOYS(ボクタチ オーサカ ヤンキー ショウネンの略)」というユニットで活動していました。
現ジャニーズWESTのメンバーである中間淳太さん、桐山照史さんのユニットである「B.A.D.」と行動することも多く、その時は「B.A.D.BOYS」というユニット名を使っていました。
そして、BOYSのメンバーであった室龍太さん(現関西ジャニーズJr.)と山碕薫太さん(現在は退所)がVeteranというユニットに移動したため、BOYSは濵田崇裕さんと中田大智さんの2人組となりました。
引用:https://girlschannel.net/topics/1599533/
しかし、思わぬ出来事が起こります。
唯一のメンバーであった中田大智さんが、2011年にジャニーズ事務所を退所してしまうのです。
よって、BOYSは消滅してしまい、濵田崇裕さんは「濵田崇裕 with Veteran」として活動したり、単独で先輩グループのバックダンサーを務めたりするようになりました
そして、長いジャニーズJr.時代を過ごす中で、「デビューをしてファンのみんなを安心させてあげたい」という思いが芽生えてきます。
それはグループ消滅の事件も大きく関与していると思いますが、「濵田、ジャニーズを辞めるのでは?」という誤った噂が流れてしまったからだそうです。
そして、2013年の5月に関西ジャニーズJr.として共にコンサートや舞台に励んできた中間淳太さん・桐山照史さんと一緒に、社長に「デビューしたい」と直訴することになりました。
引用:https://twitter.com/ryu_jw_rk/status/458617422241468418
そして社長を説得したことにより、ようやくデビューが決まったかと思えば、選ばれたのは中間淳太さん、桐山照史さん、そして同じく関西ジャニーズJr.の人気メンバーであった7WESTの重岡大毅さん、小瀧望さんでした。
一緒に活動してきた7WESTの藤井流星さん、神山智洋さんと共にデビュー組から外されてしまった濵田崇裕さん。
しかし、デビューが決まっていた4人が7人でデビューできるように社長や事務所に働きかけ、日生劇場で行われた「なにわ侍」という舞台にて、7人でデビューすることがファンに正式に報告されたのです。
「4人でデビューをすることになりました」と中間淳太さんから気まずさの混じった報告をされた時は、「終わった」と心が折れてしまった濵田崇裕さん。
しかし、同じくでデビュー組から外されてしまった藤井流星さんの「俺はなんとしても入るよ。濵ちゃんも、あきらめんなよ」という言葉や、既にメンバー入りをしており、先頭を切って7人でのデビューを推していた重岡大毅さんの「100%入れないとは思わなくてもいいと思います」という言葉を受けて「諦めちゃだめだ」と前向きになれたそうです。
ジャニーズWESTが紆余曲折を経てメンバー構成されたという話は有名ですが、長年関西ジャニーズJr.のお兄さん組の一人として励んでいた濵田崇裕さんの立場から見てみると、デビューの思いがより強かったのではないかなと感じます。
「濵ちゃんがおらな、ジャニーズWESTが成り立たん」というメンバーの声をよく聞きますが、穏やかで優しく、天然で抜けているところも多い濵田崇裕さんの人柄が、ジャニーズWESTの仲の良さを深めているように思います。
まとめ
今回は濵田崇裕さんの基本プロフィールや学生時代のエピソード、そしてジャニーズWESTとしてデビューするまでの軌跡について紹介してみましたが、いかがだったでしょうか?
兵庫県の田舎で育った少年のまさに「シンデレラストーリー」ともいえる濵田崇裕さんの活躍がよくわかったのではないかなと思います。
今回の内容をまとめてみましょう。
・濵田崇裕は兵庫県姫路市出身。
・学校名は不明だが、最終学歴は高卒。
・学生時代は今と変わらず純粋でマメな性格。
・関西ジャニーズJr.時代から数々のメンバー編成を経て、ジャニーズWESTとしてデビューした。
誰からも好かれる「愛されキャラ」の濵田崇裕さん。
現在は2016年に主演を務めた歌喜劇「市場三郎」シリーズの続編を上映中ですが、今後ますます多方面での活躍が注目されている濵田崇裕さんを応援していきたいですね!
最後まで読んでいただきありがとうございます。